もんじゃもんじゃ

もんじゃ焼は食べたことがありません

本人と家族の機能として

最近ちょっと思ったんですが、これは誰の支援なのかということを意識しなきゃね、と。

 

a山a助さんb子さん夫婦がいてたとして、その支援がa助さんに向けた支援なのか、b子さんに向けた支援なのか、a山家に向けた支援なのか、を考えないとまずいのかなと思ったりしてます。

 

介護の現場では残存機能の活用とか、過剰な介護は良くないとか言う訳なんですが、これって家族の機能としても同じじゃないの?っていう当たり前の事を考えてるんですよ。

 

残存機能を大切にするのは、その機能を使わない事で低下する事を防ぐ為、家族としての機能も一緒でケアマネさんやら包括さんやらが代行すればするほど、家族はその機能を使わなくなり機能低下を起こす、と。怖いっすよね。

 

今後の方針を決める時に、支援者側が至れり尽くせりで、これがしたいんですか?あれがしたいんですか?こうできます、ああできます、とそれっぽい選択肢をたくさん出しちゃうと、利用者側はそれが当たり前になっちゃいますよね。もちろん選択肢の中から決めるので自己決定ですよ、それはそうなんですが、僕らの生活はそうなんでしょうか?

自分で決めなきゃいけない時って、選択肢から探しませんか?それをするのが全て悪い訳じゃなくて、本人が出来る人とか、家族ができる環境でもしちゃうと、残存機能を奪う事になりはしませんでしょうか?っていうお話でした。