もんじゃもんじゃ

もんじゃ焼は食べたことがありません

どんな立ち位置で家族を見ましょうか

同僚の人が結構困ってる事が多くて、僕なんかじゃアドバイスも出来ないですがたまにはどうしてるのかお話をする事があります。

 

ある日は電話で怒鳴られる、ある日はすぐに連絡しないと怒ってくる、ある日は色んな事を押し付けられる、そんなこんなな悩みみたいです。

 

とりあえずはどうしたいのか聞いてみるんです。そんな事をされるのは嫌だと。

じゃあしなきゃいいんじゃないですか?と言うと、そんな簡単な事じゃない、と。

 

とりあえずですが、電話で怒鳴られるんなら電話切ったらいいたら思うんですよね。それで掛け直してまた怒鳴られたらまた切るとか。結構本気で言ってて、すいませんビックリして切っちゃいました、とか言うてたらいいんじゃ無いかと。それで、怒鳴られたら言う事聞いてしまうって言うのも悩みみたいなので、それも怒鳴られたら言う事を聞けないと伝える方がいいんじゃないかと思ってるんですが、それは難しいと流石に僕も思うんで、結局怒鳴られないようにするにはどうするかって話なんですよね。

その人は利用者じゃなくて、利用者家族なので言うたらお客とするか、お客じゃないとするかから考えた方が良いと思うんですよ。

 

お客さんでも我慢しなくていいと思うんですが、まぁある程度は我慢しなきゃいけないとして。お客じゃなかったら我慢しなくても良いと思うんですよ。

介護って、自分でしにくくなった事を介助する事じゃないですか。自分でできることは自分でして、自分でできなくなったこと、セルフケアが不足した事を誰かの手で行う事なんですよね。

お腹が減ったから食べた、で解決だとして。お腹が減ったけど自分で食べれないはセルフケア不足になるんです。なのでその不足してるケアを解決する為に、誰かが食べさせる、食べ物じゃダメでもストロー付きの飲み物で代替えできるのならそうする、みたいな事じゃないですか。

 

で、家族という存在はセルフケア不足に対して、常に一緒にセルフケア不足に陥ってるのか、という事を考えた方がいいのかもよ、と思ってて。家族が騒いでても、家族で解決できるのなら家族がすればいいし、もっと言えば代替手段で解決できるならセルフケア不足が回避できるんですよね。

 

病院に行きたいから手配してくれって言われても、家族が連れていけるのなら連れて行けばいいし、いつもの介護タクシーの連絡先を知ってれば勝手に電話すればいいんですよ。

 

ケアマネやからって何でもかんでも手を出してたらセルフケアは常に不足しつづけるし、自分で不足したセルフケアを補う方法を考えられるのなら、それはとても良い事じゃないのかと思ったりするんですよね。

 

んで、家族の話ですが、家族は本人ではないのでセルフケア不足に一緒になる事もあるし、ならずに済むこともあると思うんです。僕らケアマネが向き合うのはお客さんとしての本人と家族なのか、支援者の一人として家族と一緒に利用者に向き合うのか、ケアマネとしても選んでいくことは意味があるんじゃないかと思ったりしてます。

 

全部の利用者さんに当てはまるわけじゃないし、もちろん家族も含めた利用者さんとして付き合う事や、レスパイトも重要な事として考える必要もありますよ。その辺はそれぞれのケースで、考えていきましょう!