もんじゃもんじゃ

もんじゃ焼は食べたことがありません

会話の続きを演出できれば信頼されるよ、というお話

先日、知人と話していた時にひらめいたことがあったんです。
いつものように職場の愚痴を言ってたんですが、その中でお互いに意気投合した話が「前に注意したことを忘れる奴は信用できない」ってことだったんですよ。

職場でよくある話だと思うんですけど、一回注意してそれを覚えてくれている人と、覚えてない(ふりかもしれないけど)人がいてるんですよね。

何度注意しても治らないなら期待はできない

人に注意するのってそれを直してほしいからなんですよね。
なんで直してほしいかというと、それをすることで時間が無駄になったり手間が増えたりするからなんですよ。って話は分かってもらえると思うんですけど、
注意した時に、わかりましたって言ってくれて、そのあとに同じことが起こった時に「またしてしまった」という行動をとる人は、そうだよね気を付けてね、で終われるんですよ。
昨日指摘したミスを今日もして「そんなこと初めて聞きました」みたいなリアクションする人っているじゃないですか。昨日の今日じゃなくても「そんなの知りませんでした」ってリアクションも同じなんですけど、それをされるとぐったりするんですよね。

ミスをめてるんじゃないですよ

ミスは仕方ないです。誰でもします。そんな事どうでもいいし、ミスは認められないとどうこうとかは別の話なんですけど、ミスはいいんです。2回目3回目のミスも今はいいです。
今回の問題は、指摘されたことを覚えているかどうか。もっと言えば覚えている反応ができるか。これです。

毎回ゼロからスタートなのか

何かミスがあっても「それは気を付けてね」で終わりなんですよ。
2回目ミスがあっても「前の注意で何かわからないことがあった?」「どんな事がわかりにくいの?」とか原因を探れるんですよね。何度もミスを繰り返してても、傾向とか苦手な箇所とかを一緒に探れるじゃないですか。結果的にミスを減らしていければお互い満足なので、その過程にミスが起こることは仕方ないのです。

で、今回のお話はこのミスをなかったことにする人のお話なのです。
ミスが起こりました「気を付けてね」、2回目同じミスが起こる「気を付けてね」3回目4回目5回目、、、そのうち「前も言ったよね?」に対して「そうでしたっけ?」とか「初めてミスしました」みたいなことをされるパターンです。

上のと比べて、何も進まないんですよね。もっと言えば次の日になればリセットされる感覚。正直これはつらいんですよ。
別にミスを指摘したいとか、2回同じことを言わせんなとか、1回しか言わんぞとかではないんですよ。これのきつい点は「昨日の自分の行為がなかったことにされること」なんです。
他者から見たら偉そうに見えるかもしれないし、怖い存在化もしないですけど、他人を罵倒したり注意したりしてストレスって発散できないものなので、注意すること自体がストレスなんですよ。
なので考えてわかりやすく説明してみたり、相手に考えもらえるように促したり頭を使って接しているんですけど、その行動をなかったことにされるわけです。本当につらい。

次のステップに行けない

それが新人さんなら、方やミスをしながらでも仕事を覚えて仕事を任せられるようになっていく人、方や最初のところで足踏みして進めない人に分かれてしまうわけじゃないですか。
仕事を覚えるほうも、同じことばっかりも面白くないと思うし、覚えてもらうほうも同じことばっかりでつらいんですよ。

で、その結果何が起こるかと言ったら、何かを任せられる人と任せられない人に分かれちゃうんですよ。
この傾向って他にも当てはまると思っていて、会話でも次に進める人と、毎回同じような会話しt化できない人。会議だと、前回の会議を参照して進められる人と、毎回会議の話題が同じ人。
仕事でも個人的な関係でも、話が進んだり広がったり深まったりする人と、毎回あいさつして天気の話や昨日のテレビの話しかしない人だと、どちらが仲良くなれるかって話ですよ。

「で、あの話どうなったの?」

営業の技で、相手の話をメモするってのがあるじゃないですか。あれの使い方って、
例えば、コロナで大変ですねって言ったときに相手が「そうなんですよ、リモートでもいいと思ってるんですけど、中々リモートにしてくれないんですよね。」って言われたとするじゃないですか。
次に会ったときに「リモートにしたいって言ってた件、会社は了承してくれたんですか?」って話したら「そうそう、上司に言ったら案外すんなりいって、、、」とか「いやぁうちの会社はリモートとか言えないんですよねぇ、、、」とか相手が勝手に話を進めてくれるんですよ。
で、前回の会話を覚えてなかって(メモを取って中って)2回目でも「コロナで大変ですよねぇ」って話をしがちなんですよ。

これの違いは、会話を前に進められるかってところなんです。例えば毎回会った時に天気の話しかしない人と、なんだかんだでプライベートの話をする人とどちらに親近感が得られるか、ということです。

こんなことあたり合えと思うと思うんですけど、案外できてる人が少ないんですよ。でも簡単なことなので、やってみる価値はありますよ。

小さな勝利と小さな前進

この話を考えていた時に思い題したのがテレサアマ―ビルさん。
この人の研究で、モチベーションを上げるには嘘でも小さな達成と小さな前進を演出することというのがあるんです。

この考えで、営業の話を読むと、
小さくても積み重ねていく会話が前進を演出し、その人と会うモチベーションになる、になると思うのです。

この考えで上のことを見ていくと
何度も同じ注意をすると、前進がないと感じてしまい無力感にさいなまれると同時に、その人とかかわることや伝えることのモチベーションを失ってしまう、とも読めると思います。

誰にでも小さな前進を

書くつもりがなかったというか、今思いついたんですけど、
逆に言えば、「それ初めて聞きました」ってリアクションをしてくる人に対しても小さな前進の演出をしてあげれば、何かしらのモチベーションの向上が期待できるのかもしれないですね。
あえて、「前は全然やったけど、今回はここまでできてたね」とか「いやいや、先月より○○が増えたやん(早くなった)」とか相手のリアクションを無視してこちらのみで話を進めていければ、もしかしたら改善するかもしれないですね。

って、そんなにうまくいかないですよね。

F02エラーその後

 

irukawa.hatenablog.com

 すいません、いったいいつの記事なんだということもあるんですけど、そのままほったらかしだったのでその後を書こうと思います。

 

結局メーカーの人に来てもらって見てもらったら、ドラムの回転数がもう寿命ということで買い換えました。

 

頑張って中の埃をとったんですけど、それでも内部は埃まみれだったみたいで、洗濯のみは数日買い換えるまで行っていましたが、乾燥は点でダメでした。

分解してみる方法とかもyoutubeとかブログであるようですが、実際年数が絶えれるのかが疑問ですし、まぁ、メーカーの人の言うこともどこまで信用できるのか言うことが正しいと思います。

っていう記事でした。

対象者をジャッジしないのは大事

えーっと前回に、ごねてもしょうがないよっていう記事を書いたのですが、その反論を自分でしてみようかと思っての記事です。

対象者をジャッジしない

昔何かの記事で、無料券のある食堂があって、その無料券を使う人は見るからにかわいそうな人ではなく、ふてぶてしい人で、取材スタッフがそのことを店主に意見したところ店主は、でもその人が困ってるかどうかは誰にもわからない、と返したっていう記事と

子ども食堂をしていて、ただ飯食える場所としか認識されずに来るのは親は裕福そうな人ばっかで思ってたのと違うと辞めてしまった人の記事を読んだ記憶があります。

探しきれなくて申し訳ないのですが

上の2つの事でいいとか悪いとか意見を言いたいんじゃなくて、他人の内心はわからないよねってことだと思うんですよ。

内心はわからない

上の例でいうと、ふてぶてしい態度の人は、実はそういうコミュニケーションしか取れない人かもしれないとか、自分の中で折り合いをつけるためにふてぶてしい態度をとっているのかもしれないとか、へりくだる態度をとると自分の中の何かが保てない等等、あるのかもしれないんですよ。

下の例も、母親が高級車に乗っているからと子供は幸せとは限らないとか、自分はいい服着てて子ども食堂に送られる子供の気持ちとか、羽振りの良いふりしてるからって本当に羽振りが良いのかとか、そもそも誰とも一緒にご飯を食べれない環境とか、まぁ考えだしたらきりがないんですよね。

そんな感じで実際のところってわからにと思うんですよね。

素直に助けを求められるのなら

ケアマネとか人とかかわる仕事をしてると、得な性格の人とそんな性格の人がいると思うことがあります。
何が得で損かは主観ですけど、例えば助けを求めることが比較的に簡単にできる人は得な性格と思います。逆に言うと助けを求められない人が結構いてる気がしています。
助けを求められない人っていうのが、上の例のような本当は助けを求めたいけどふてぶてしい態度になる人とかの事で、そんな奴いてないやろと思うかもしれませんが、少なからずいてるんですよ。

助けてほしい場面になればなるほど、ふてぶてしい態度を取ったり、自分の殻に閉じこもったり、他人を遠ざける態度をとる人。もしかしたら試し行動かもしれないのですが、こちらも人間で感情を持っているので良い気がしないことももちろんあります。
中には全部責任をかぶせてこようとする人もいてたりと、現実は大変なのです。

前回の話とつなげてみると

前回の記事は声の大きい人やクレーマーと呼ばれる人の記事でした。
この声の大きい意見やクレームが実は、ヘルプサインじゃないかと思わないことも無いんですよね。もしくは試し行動かもしれないです。

助けてほしい時に、もしその人が過去にひどい目に合ってきた場合は、こいつは本当に信用できるのだろうか、という気持ちになってもおかしくないと思うのですよ。
その気のちの表れとして、クレームとつけたりするとかも考えられるのではないかと。

もしくは、助けてほしいと素直に口にできない状態で、大きな声になってしまったり、行き場のない感情を目の前の人にぶつけてみたり、そんな気持ちの表れの可能性が全くないとは言い切れないと思っています。

じゃあ、言うことを聞けばいいの?

そしたら全部言うことは傾聴して受容したらええのか?ってなるんですけど、全部が全部は僕はできてません。

僕の能力不足かもしれないですけど、全部を聞いて全部をかなえることはできないと思っています。
僕らの時間も有限で、その人に対しての支援として割り振れる時間は限られています。そしてケアマネとしては、実働は基本的にサービス事業所の人たちにお任せすることとなります。
そのサービス事業所で何ができて何ができないかをケアマネが判断するのもおかしな話で、相談や一緒に考えることはできますが、それが介護保険サービスを逸脱することならこちらも断りますし、サービス事業所さんも断ってほしいです。(ケアマネがあかんって言うてた的な逃げじゃなくて、とかいうのは別のお話)

とはいうもののできることはするし、担当制で長期に担当することが多いので、その代弁をすることはあると思います。と、いうより代弁がケアマネの役割の一つじゃないかと思ったりはしています。

お互い時間は有限なのだ

ただ、人間同士なのでどんなに話し合っても分かり合えないこともあります。
結局の結論は前回記事に戻るんですけど、あかんと思ったらケアマネやら担当の変更をするのは悪い手じゃないと思っています。

時間をかけても分かり合えないこともあると思いますし、逆になんとなく分かり合えれば気持ちが穏やかになったりとかもあるのかなと。
あいつは何もわかってないとか、あいつには任せられんってイライラするのは本当に時間の無駄だと思うのでその場合は変更を考えてみてください。

あの人はいい人やけどここだけがどうにかならんかなぁって時は、頑張って変わってもらえる努力をしたり、アプローチをするのも悪くないですが、その場合は相手の問題を自分事として引き受ける(一部でも)覚悟はないと難しいかもしれないです。

相性の良い人に巡り合うのは本当に聞け木田と思いますし、そうじゃないと思い悩むのなら見限って担当変更も手ですよ。

おまけ

一応ですけど、セルフプランというのがあって、利用者さんが自分でケアプランを立てることができるので、そんなこともできるって思ってたら気持ちが少しは楽になるかもしれません。

じゃあいいですぅー

僕は最近新規の受け持ちがあまりないんですけど、同僚が新規の初回訪問に行ってきた話を聞いてくると、パソコンで調べただの、資格どうとか、聞かれることが増えてきてるみたいです。

「あんたの会社を調べたんやけど、、、」とか、昔ネットで見たケアマネを選びたいから何人か集めて面接するとか、役所から詐欺があるってチラシがあったから詐欺じゃないか教えろとか。

ヘルパーさんに来てほしいとかデイに行きたいとか言ってるのに、違う人間がいきなり来てあーだこーだ根掘り葉掘り聞かれたら、疑いたくなる気もわからないではないんですけどね。

で、本題に入るのですが


ごね得は本当にお得な作戦なのか、問題です

実際は全部がごね得とも思ってないし、あくまで僕の感想なのであまり気にしないでいいと思いますけど、ここまで読んでいただけたのなら、続きも読んでいただければと思います。

介護業界やケアマネ界隈の問題で大きな事って、人手不足なんですよね。介護の人手不足は有名だと思うのですが、ケアマネも人手不足なんですよね。ケアマネの担当上限件数の廃止とかになるくらいには人手が足りないんですよね。

人手が足りないとどうなるか

従業員のたたらける時間って決まっているので、すごく単純に言うとそれを担当件数で割り振ることになるんですよね。週に40時間働くとしたら、40件持ってたら週1時間分しか割り振られないんですよ。そこに働き方改革だとかで有給休暇の取得義務もあるので月に4週として単純に4倍にならなくなっちゃうんですよ。そこに、他の雑務やケアマネ業務外の仕事もあるし、実際に訪問するだけがケアマネ業務じゃないし、移動の時間もあるしで、実際訪問も1時間も摂れないんじゃないかと思ったりしています。

クレームの多い人の問題点

苦情やクレームも、それが必要な時があります。ケアマネもミスもすれば勘違いもします。失敗は人間にはつきものなので、何か不具合があれば指摘することがより良い関係性や質の向上につながると思います。
しかし、些細なことでクレームをつけてきたり、言いがかりとも取れることを言われる人も中にはいます。その方たちの対応ってもちろん時間がかかるんですよ。苦情やクレームは時間をかけて対応し検討しないといけないと思っているんですけれど、それが毎月のように続くとどうなるか。
上で書いたように、単純に考えると担当一人当たりの持ち時間があるとした場合、クレーム処理を含めその方に4時間以上費やすと当然他の方の時間が削られることになるんですよ。残業しろだの思われるかもしれませんが、残業したところで他の業務に追われているのが実態なので、すでに残業はしているんですよ。

声の小さい方の声を聴けない

クレームを含め声の大きい人の問題で、声の小さい人をないがしろにしちゃうことなんですよ。
声の大きな人の対応に追われるとその方にかかる時間が増えて、逆に声の小さい人の時間は少なくなる。もし、クレーム対応で声の大きな人が何か良いことが起こってしまっていたら、その人は次からも声が大きくなると思うんです。だってそれをしたほうが得だから。
で、そうしていくうちに声の小さい人の対応時間が無くなっていくんですよね。また、他の人も声の大きい行動をたまたまとったら、以前より快適になったりすると、もちろんその人たちも声の大きい行動をとること確率は増えると思うんですよね。だってそのほうが得だから。
そうなると、声の大きい人しか残れなくて、声の小さい人は何もしてもらえない。担当しているケアマネさんは声の大きな人ばかりの対応に追われる、そしてミスが増え、声の大きな人の声がより大きくなるというサイクルになるんじゃないかと思ったりしています。

じゃあいいですぅー

上記のパターンはまれなケースだと思うんですけど、そうなってしまうんじゃないかと思おう人を見ることもあるので、冗談では済ませられないと思ってはいます。
対処法としたら、不本意なクレーム連発の前に対処するしかないと思うんです。最初に書きましたが、ケアマネも不足しつつある状況で合わないと思った利用者さんや、利用者からみたケアマネって、無理に付き合っていくことはよくないと思うんですよね。
今までなら、仕事が欲しいからある程度の無理難題もこなす必要があったかもしれないですが、人手不足のになると、質を上げることも大事ですが、まずは数をこなすことを求められるんですよ。
上で書いた40人なら週に1時間、80人になったら週に30分しか使えないわけですよ。そこまで行くのかはわかりませんけど、もしそうなったら文句があったら他に当たってくれということになるんじゃないかと思おうんですよ。
そろそろそうなっているんじゃないかと思うんですよね。不満がある中で無理に担当していくことにメリットがあればいいですけど、そのメリットは本当にあるのかと言われれば、正直疑問なんです。

他の人の時間をないがしろにしてまでする対応に意味が感じられない場合とか、何か予兆を見つけても忙殺されてしまう仕事の中で見ない振りしたりする仕事に魅力を感じられるのかと思うんですよ。

ってことで、ごねるよりも相性の良い人を探す方がお互いのためだよねっていうのが僕の私見です。ほんとうにあくまでも僕の私見ですよ。

選びたい気持ちもわかります

ここまで書いておいて何なのですが、選ぶことは大事だと思うんですよ。

でもこの場合の問題って選ぶ基準があるのかってことなんです。
ケアマネって正直なところ、勝手にあてがわれるしどんな人に当たるか運ゲーだと思っているんです。ケアマネガチャとでも言いましょうか、どんな人に当たるかは本当にめぐりあわせなんですよ。

何か基準を持っていて、その基準に該当する人を探すのであれば是非とも頑張っていただきたいと思います。
でも、選べるのは事業所までなんですよね。頑張ったらケアマネも選べるかもしれないですけど、一応のルールは事業所は自己選択の元、契約を行うことになっています。
その事業所内でも、複数人いた場合に色々な人がいてたり、ベテランさんから新人さん、じゃあベテランがいいかといえば一概に言えないし、新人さんも様々な人がいますし、ケアマネって基礎資格を数年経験したのちになる仕事なので年齢イコール経験ではないし、とかとても選びにくいんですよね。

それで、正直なところどんなケアマネがいいかと言われても僕も実際よくわからないんですよね。わかることとしたら、相性の良い人に当たれば、うまくいくみたいなことなんですよ。

前の記事にも書きましたが、ケアマネって変える事が出来るので、うまくいかなかったら帰るくらいの気持ちでいていただければいいんじゃないかという、何の解決にもならない記事で2021年を始めていきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

介護保険を申請しようぜ!!

そろそろお盆も近づいてきて、今年はどうだかわかりませんが、帰省中にそろそろ両親の心配が出てきたなんてことあると思うので、今日はこんなお話を。

介護保険ってどうしたら受けれるの?ってお話です。

 

介護保険を受けるには

65歳以上の方が対象の介護保険です。一応は45歳以上で健康保険に加入して入れば受けれます。65歳以上を1号被保険者、45歳以上64歳までの人を2号被保険者と言います。

今回の話は65歳以上の1号被保険者の方を対象としているので、2号被保険者の方のお話はまたどこかで。

 

申請しようぜ

介護保険を受けるには申請しなければなりません。

どこに申請するかというと、市区町村にです。役所と言われるところの何とか介護課とかに申請します。市区町村で結構名前が違うので、お住いの市区町村のホームページで介護保険で調べると出てくると思います。

 

申請って何するの?

ほとんどの場合はまだ申請に市区町村に出向くのが手っ取り早いです。お話の分かる方なら申請書をダウンロードして郵送するのも手なんですが、難しくないですが、面倒といえば面倒です。難しくはないのでできる方はそれも手です。

申請するにあたって名前と生年月日、住所、連絡先、かかりつけの主治医の病院名とお名前くらいは最低限必要です。

それを伝える作業か、書き込む作業が必要になります。

僕らはたくさんしてるので、書かなきゃいけないところや、なんとなくで大丈夫なところを本能的に察知できますが(自慢にならない)、結構埋めなきゃダメな書類なので、初心者の人は結構苦戦しているのも見てきました。

いや、わかればそんな難しくないものなんですけどね。

 

申請した後は?

認定調査

連絡先に電話がかかってきて、認定調査というのを本人さんが受けます。この話の本人とは介護を受ける方です。そして介護を受けない方は家族と呼ばれます。まぁそのままなんですが。

認定調査員という人が市町村から派遣されて、認定調査というものを本人にします。介護認定するための調査です。

聞き取りを30分~1時間くらいして帰っていくと思います。

必要があれば認定調査にご家族が立ち会うこともできます。この時にあまりいろいろ「こんな事が出来ない」とか「こんなことで困っている」とか本人の前で言うと関係にひびが入るのでご注意を。必要な場合は「後でちょっと」と調査員さんに声をかけておくと、こっそり聞いてくれることが多いです。調査員さんもその辺は心得ている方が多いです。

主治医意見書

主治医だと書いた先生に意見書を書いてって市町村から連絡が行き、主治医の先生が意見書を書いてくれます。この手順は特にかかわりはないので何もしないでいいことが多いです。

主治医が良くしている先生だといいんですが、掛かりたてだと受診時にいろいろ聞かれるかもしれません。今のところほとんどの先生が書いてくれるようですが、一応は確認が必要です。今度介護を受けようと思ってるんやけど主治医になってね、と一言伝えておいてください。もし断られたら違う先生を探してください。

 

審査会

ここの過程は関われないのです。認定審査会というので介護認定がされます。つまり介護度が出ます。

介護度は、自立、要支援1・2、要介護1~5の8段階に判定されます。

そして審査会が終われば介護保険証が自宅に届きます。

 

ざっとですが介護保険申請の流れでした。

こういうことが聞きたいわけじゃないって思っていると思いますが、わかってますよ。

それはまた今度で!!

そうだケアマネを変えよう!

お久しぶりです。僕は元気です!!

 

ツイッターを見ていたらケアマネを変える話があったので、僕なりに思うところを書こうと思って投稿しますね。

 

結論は

明確な理由があれば交代したほうがいい

ということです。

 

まずケアマネ交代したいなら何か理由があるはずじゃないですか。それをご自身なりご家族なりで考えていただきたいんですよ。

その結果が明確に○○がこのケアマネじゃダメ!ってなるなら善は急げです。

 

もくじ

 

 

 

交代してみたい理由について

他を知らない

ケアマネと言ってもたくさんいてるので、今のケアマネさんより良い人もいれば悪い人もいます。良い悪いって主観的ですが、人間なので合う合わないはあります。

ただ、他に交代したからって必ずしも良くなるとは限りません。悪くなるかもしれないしよくなるかもしれない、一定の基準以上であれば賭けに出る必要はないと思います。今のケアマネさんに漠然とした不安しかないのであれば、現状維持で問題ないと思います。

いなので、漠然とした不安を明確にすることが重要と考えます。

なんとなく合わない

上にも書きましたが人間合う合わないはあります。何が合わないかを明確にしましょう。あいつ嫌い、顔見てるだけでイライラする、しゃべり方が、声が、何でもいいです。何でもいいのですがその代わりキチンと理由を明確にしたほうが良いです。明確にしないと交代に応じてくれない可能性が上がります。もしくは話がこじれてそれなら全部撤退や!ってなるのもメリットがあるとは思えません。

なので、明確な理由が必要と思う次第です。

誰かにそう言われた

これ案外多いんですよ。○○さんがうちのケアマネはうんたらかんたら的なヤツ。その○○さんの認識している事がどこまで事実なのか、傍で聞いているとすごく疑問です。

それに○○さんの希望やニーズとあなたの希望やニーズは一致しているのでしょうか。その人の基準では合格でも、違う人の基準なら不合格なんて世の中ザラにあります。

なのでフワフワした理由と判断してほかに理由が思いつかなかったら交代はしないほうが良いと思います。

明確な理由があった場合

明確な理由があるなら交代しましょう。性別や、年齢、出身地、住居、情報の過多、考え方、仕事の仕方など、様々な理由があると思います。ケアマネ側に明確kに不備がある場合もこれに該当します。明確にこれが良くないと思うからこういう人がいいと思ったら交代することをお勧めします。明確に不満があって、それでも関係を維持することはお互いに拭こうと思うからです。交代がどうかと思うなら、まずは不満点をぶつけてみてください、その返答に納得がいけば継続が望ましいし、納得いかなければ気持ちよく交代をお勧めします。

 

交代を積極的にお勧めしない理由

ケアマネ交代を言い続けてきましたが、交代を積極的にはお勧めしていないです。

僕がケアマネというのも理由の一つかもしれないし、担当をクビになるのはやっぱり切ないし、というのもありますが、ベストなケアマネ像自体があいまいな点も挙げられます。

実際人間と人間なので相性が合わないこともありますが、見えてる部分がすべてではない可能性や、今後の関係性次第で変化していくことも考えられます。

それ以外にも、交代を何度もされている方で、その方の思うような結果になっているケーズを見たことがないから、というのもあります。

まぁ、不満があるから交代するわけで、不満がなければ交代しないから観測できないのですけどね。

 

以下は交代のデメリットです。

関係の構築を最初からしなければならない

交代すると情報の共有も関係性の共有も今後のビジョンの共有もゼロからのスタートとなります。事業所内の交代なら共有で来てるでしょ?と思われるかもしれないですが、それができている事業所はとても優秀な事業所なので交代もすんなりいくし、交代する必要性すら薄いと思います。

僕の見れる範囲ですが、思っている情報の共有って難しく、ケアマネさん自体(僕を含む)が癖のある人が多く、中々隅々までの情報の共有はむつかしく感じています。

正直、人間が変われば支援方針も変わってしまうような代物で、それこそプランに正解はない、ですからね。

新しい担当の人に1から説明する労力と比較して、メリットのほうが大きければ交代をお勧めします。

担当の人の何が足りないか(どこが嫌か)わかっている場合

もちろんその何かが我慢できないほどのものなら交代をお勧めします。

何か足りないとかであれば、ケアマネさん以外に補強してもらえる人に頼ることも手です。

例えばリハビリの知識が足りないと感じているとして、訪問リハビリさんやデイサービスさんでケアマネに足りない知識を補えるのであれば、チームとしては問題なくなるので、そもそもの問題はなくなります。その結果、担当ケアマネがへそを曲げたり言うことを聞かないとかであればそれは資質の問題なのでこの項目には該当しません。

ケアマネは実は、というか当たりまえにすべての知識があるわけではなく、ケアマネ一人だと何もできないのが現実です。ケアマネはほかのサービス事業所さんやその他機関の力を借りることで成り立つ仕事なので、ケアマネ自体の知識を問うてもそんなに良いことがあるわけでもないのかもしれないです。

介護保険の知識はケアマネの専門分野と言ってもいいのかもしれないですけど、それも保険者に確認したりなので、そういう意味では知ったかぶりをしない、わからないことを素直にわからないから調べます、と言える人なら信頼してもよいのかもしれないですね。

 

結論

最初に書いた通り、明確な理由があればすぐに後退したほうがいい、なんです。

一応の交代のデメリットやケアマネの限界的なことも考えながら、理由とデメリットを比べて考えていただければ幸いかと思います。お互いに不幸にならない選択をしていただく抱ければ幸いです。

 

今日はこれまで!!

レベルが合わないの解像度を上げると

気がついたら去年からブログほったらかしやったんですね。これくらい別にいっかが長期間になる悪い癖です。

 

んで、昨日のお話で、他所の社長さんとの話。

その社長さんはデイサービス等の介護事業の経営をしながら第一線で働いてる人で、自分が雇われてた時に受けた理不尽な扱いに嫌気がさし、そうはならないぞって一念発起した素晴らしい社長さんなんです。実際スタッフに対しては真摯に向き合ってるし、そこまでしなくてもってくらいにスタッフの私生活の相談を受けたりしています。

 

出来る人と出来ない人、わかってる人とわかってない人と分断があると思っています。

両者がお互いに分かり合えないと思っているんです。よく下のレベルに合わせてとか、目線を合わせてとか、言うじゃないですか。僕もその社長さんに同じようにみんな一緒と思ったらダメですよって言ってました。その社長さんは一スタッフから自分で法人立ててってやり手の社長さんです。勿論スタッフの手本になるようにとても頑張ってます。上の人間として下を守ろう、正しくあろうとしてる人です(本人談)

 

で、昨日喋ってたら、スタッフのやる気が見えないと言ってました。

研修したり、教えたりしても何も身にならないと嘆いてました。なにかスタッフにする事で、何の反応も進展もせずにすればするほど虚しくなる、と。

相手のレベルに合わせようにも、当たり前の話をしてるし、人としての大事な話も入っていかへん、と。

その後、社長さんは言いたいことを捲し立ててちょっとはすっきりしたのか雑談は終わりました。

 

話を聞いてた時にはあまり考えなかったんですが、時間が経つにつれ一つ考えが浮かびました。

レベルって実は僕もよくわからないのですが、そのレベルってヤツを何かに当て嵌めてみよう、と。

 

仕事をしてるから仕事が出来るレベルに達している、というのが社長さんの根本にあると思うんです。

例えば、それが高校卒業できる能力と仮定しましょう。

その高校卒業できるレベルと言っても、偏差値の上から下まで様々です。

あ、偏差値がどうとか頭の良さがどうとかって話じゃ無いですからね。

それを一括りに仕事してるレベルで括るのは乱暴じゃ無いかと、まず思いました。

なので、(例えですよ)トップ高校卒業生とボトム高校卒業生が同じ事が出来るかと言われれば、どうでしょう?

違いますよね?

平均的であったとしても、全てに平均的では無く、何処かでばらつきがあってオール50点の人もいれば、何かは90点で何かは10点の人もいるんじゃ無いかと。

それで、何が出来なかった場合に「君高校卒業したんだからこれくらい出来なきゃおかしいよね」って言っても解決しないんですよね。

高校卒業したからと、当たり前の事が解らない場合に、高3のこれはわかるか?解らなかったら高2のこれは?次は高1のこれは?じゃあ中学のこれは?小学生のこれは?ってしていくしかないと思うんですよ。(あくまで例えですよ)

数学はわかるけど社会はわからないとか、文系やから理数系はさっぱりとか、人それぞれなんですよね。

それを、何の資格があるからこれくらいは出来るでしょ?ってのも個人同士のケンカならまあ仕方ないとは思うけど、ここから良くして行こうって人がそれに陥るのは勿体無いなと思うんですよね。

 

解らないことは解れば良いだけやし、知らないことは知れば良いだけなんですよね。自分はそれはしなくていいとか、知る必要(があるのに知る必要)が無いとかじゃ無かったら、気長に取り組むしか無いのか、と別の徒労感が湧き起こりました、僕の問題じゃないのに。