もんじゃもんじゃ

もんじゃ焼は食べたことがありません

ありがとう枯渇問題

前に誰かに教えてもらったのですが、ありがとうを言い過ぎるとありがとうが言えなくなるという症状になるそうです。

 

教えてもらった事例は、障害を持ってる方にみんなが手助けをしてしまって、結果的に手助けをされるだけの存在になってありがとうと言い続けるとどこかの段階でありがとうが言えなくなって助けている方はそれを問題と捉えてしまい、他の人を助けてもありがとうすら言えないのなら助けたくないと言う主張になり、一方ではありがとうばっかり言うのは嫌だ、と言うことになったそうです。

この問題って見方を変えたら、その人の存在自体がありがとうを言ってもらうためにあるように思えてしまうことも考えられますし、すごく極端な言い方をすればボタンを押したらありがとうって言ってもらえる自動販売機みたいな存在になっちゃっているような気もします。

 

昨日の記事でも書いてたんですけど、自信がない状態で口だけ出す状態になると必然的にありがとうと言う回数が増えます。その集団の中で作業を行うことがなければありがとうと言われる回数は減ります、いやほとんどないと思います。

て事は集団になじめていない状態は、ありがとう枯渇問題があるんじゃないかと考えられます。

 

昨日の記事でも書いたんですけど、その集団に溶け込むにはその集団を構成する作業を担うことが手っ取り早いんじゃないかと思ったりしてるんですけど、このありがとう枯渇問題っていうのも集団に溶け込みにくい位置になっているのじゃないかと思ったりしています。

 

ありがとう枯渇問題は1つはありがとうばっかり言っていると心理的負担が働いてしまうところ、もう一つはありがとうが言えなくなってしまうところです。で、ありがとう枯渇問題を解決しようと思えば、ありがとう補給する必要があるそうで、単純にありがとうと言ってもらえる環境を作ればありがとう枯渇問題は解決するそうです。

 

なので、集団に溶け込むことも、ありがとうばっかり言って居心地が悪くなることも、ありがとうを言ってもらえやすいこと、何かの作業を担っていくことが解決方法としては簡単なのかなと思っています。

まぁ実際はそんなに簡単な問題じゃないとは思っているんですけど、それでもこーゆー仕事をしているので、解決策をなんだかんだと考えたりしちゃうんです。

 

この例えが誰かの役に立つかわかりませんが、よくあるのがデイサービスや介護施設で洗濯物をたたんだり机を拭いてもらったりしていることがあるんですが、あれって居場所づくりにもなるしありがとうを補給することにもつながっているんじゃないかと思っています。

仮にですが、タオルたたみとかを他の人がいてるからと言って取り上げようとするとすごく拒否反応起こす人がいらっしゃいます洗濯物をたたんだり机を拭いてもらったりしていることがあるんですが、あれって居場所づくりにもなるしありがとうを補給することにもつながっているんじゃないかと思っています。

 

それではまたー。