もんじゃもんじゃ

もんじゃ焼は食べたことがありません

自己選択とは言うけども

今日訪問介護の人から聞いたお話です。

 

ある利用者さんがいて、デイと訪問介護を利用していました。

 

訪問介護は長く同じヘルパーさんがサービスを行ってて、そのヘルパーさんは近所にも住んでてずっと顔馴染みで、仕事を超えた付き合いでした。最初はその関係を懸念していたそうですが、ヘルパーさんもベテランの方でその辺は上手くヘルパーとしての線引きとご近所さんの顔を使い分けて、何年も関係を構築されていたそうです。

 

デイサービスは途中から利用しだして、それでもそのデイサービスでは長く利用されていたそうです。利用が長くなると、私はここで一番古い、という発言が多くみられるようになってきたそうです。

デイサービスも方針が徐々に変わってきて、利用される利用者さんも利用者さんの介護度も変わっていきます。丁度その利用者さんの状態の低下とデイサービスの方針が合わない時が訪れました。その利用者さんの楽しみにしていたのは後でわかったそうなんですが、お誕生日会を徐々に無くしていくようになったんです。普段からプログラムとご本人の状態が合わなくなってきたのに加え、本人の誕生日になりました。誕生日会自体は前述したように廃止になってきていたのですが、本人としては自分の誕生日だけは祝って欲しいと言う気持ちがあったそうで誕生日会をしなかったこと誕生日カードがなかったことをとても不満に思われていた、と言われていたそうです。私は昔からここのデイサービスに通っており、楽しみにしていた誕生日会もなくなりずっとしていたレクリエーションも私に合わせてくれなくなったって事は、私にここにいて欲しくないと言うことじゃないのか、と言われていたそうです。

そんな不満を漏らしながらデイサービスを止められたそうです。デイサービスとしては決して本人さんをないがしろにしていたわけではなく他の方の状態変化などに合わせてプログラムの変化やレクリエーションの変化をしていた中でご本人さんの状態にそぐわなくなってきたという事だったそうです。不満もあると言うことで別のデイサービスにいかれることになりました。

 

ヘルパーさんもベテランの方だったので身内の方に介護が必要になってきたそうです。そのヘルパーさんもヘルパーの仕事をしているので身内の介護に協力をするようになりました。はじめのうちはご利用者さんもヘルパーさんをねぎらっていたそうです。

 

新しく行ったデイサービスではお友達が最初からいたそうですが、以前のように勝手がわからないことや他の人の様子が分からない事を愚痴と言うわけでは無いですが不満に思っていたそうです。

 

ヘルパーさんのお兄さんに介護が必要になったそうで、そういうお話を本人さんとしていたところ、本人さんとしてはヘルパーさんのお兄さんの介護ヘルパーさんがすることがかちんときたそうです。そして長年利用してきたヘルパーさんを交代してもらうようにお願いしたそうです。

 

今日こういう話を聞いたのですが、ご本人さんの自己決定でサービスの変更やヘルパーさんの変更(クレームと言う形)をしていきました。

話だけを聞いているとどうしても、相手から断られる前に自分で関係を切ろうとしているように思えてしまいます。それもまた自己決定なので周りからとやかく言う事は無いですし、関わってる方が考えたら良い話ではあるんだとは思いますが、こういう傾向の方が多いように思います。

先読みをして自分が裏切られないというか断られないように、できるだけ傷つかない方法をとっているように思えてしまいます。デイサービスの件もヘルパーさんの件も不満はあったり様々な感情もあるんだと思いますが、変更するのが良かったのかなと、思ってしまうんです。

何度も言いますが自己決定なのでそれが大切なことではあります。ただ、良い結果を生まないように思ってしまうので、自己決定とは言え他の選択肢を考えることも悪く無いのかなと思ったりしています。

 

おまけですか、

上で書いたように何が正しいかは実際はよくわからないんですが、これが正しいと言うのも他人が決めるものでもないです。皆さんが等しく幸せになる権利があるように、不幸になる選択肢を選ぶ自由もあると思っています。それを含めて、自己決定していくこと、自己決定してもらうことが大事では無いかと思うんです。